卑しい人間になるな

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(Japanese) この記事は私論です。何人かのメタウィキの利用者の意見と考えを表していますが、幅広い支持を得ているとは限りません。メタウィキの方針ではありませんが、他のウィキメディア・プロジェクトの方針かガイドラインであるかもしれません。必要に応じてこのページを遠慮なく編集し、大きな変更の提案にはこの記事のノートを使用してください。
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このページでは、そもそも他人に対してお前は卑しい人間だと指摘する事、或いはそのように考える事自体がナンセンスだし、不毛だからやめよう、という主張が成されています。


"卑しい人間になるな"[1]。もし人々がこの規則に従えば、他のいかなる方針も必要なくなる、と、或る人は主張した。しかしこの主張は正しい主張だろうか? 卑しい人間とは誰か? 卑しさとは何か? このタイトルが、「ルールすべてを無視しなさい」から導かれる論理的な帰結であり、他のほとんどの規則はこの規則の特例である、と、或る人は断定した。

馬鹿馬鹿しい。これこそ詭弁であり誤謬の極みだろう。「ルール全てを無視しなさい」とは、卑しい人間になっても良いという事だ。他のほとんどの規則を捨てよという事だ。

まず、最初に

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我々の社会に、「卑しい人間になるな」などという規則があるだろうか? 卑しい人間には誰もがなりたくないが、それは義務でも規則でもない。そもそも安易に他人を卑しい人間と見做すこと自体が遥かに禁忌だろう。ウィキメディアで誰かがブロックされる時、その対象人物が卑しい人間だと示された訳ではない。何かネガティブな問題が発生していることは間違いないが、管理者自身が卑しい考えで彼をブロックしていることもあるだろう。

卑しい人間の定義など、考えるだけ無駄だろう。分別のある人間は、ある特定の他者が卑しい人間であるなど、決してほのめかしたり考えたりはしない。

卑しい人間の話は誰もが聞きたくないというが、本当に卑しいのは誰か? 高貴な人間が世にいるとしたら、彼はどんな人の言葉にも、真面目に耳を傾けるだろう。

他人を卑しい人間だと呼ぶこと、或いは呼ばれる事

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もしあなたが卑しい人間呼ばわりされ、それが特定のコミュニティの複数の人間から言われたものであれば、あなたはどうしますか? 彼らの主張を受け入れて、自分は卑しい人間なんだと絶望しますか? 或いは本当に卑しいのは彼らで、彼らの所属するコミュニティなのでしょうか?

そもそも他人を安易に卑しい人間と呼ぶ人物は、明らかにその人物自身が一番卑しいのでしょう。そしてなぜか彼らは、それを決して自覚せず、メタウィキにいい加減な自己満足自己本位なエッセイを書き散らかして、自分は優秀で高貴な人間だと自惚れるわけです。

ウィキメディアプロジェクトとは何でしょうか? Wiki 上で何らかのコンテンツを共同で作り出す試みのはずです。しかも貢献なんて言葉は欺瞞です。それぞれが出来る範囲で楽しみながら、いっぽうで真面目に他者に利益を与えるコンテンツを作り上げる、半ば集団的実験行為です。

その行為の中で他者を卑しい人間と呼ぶ意味なんてあるでしょうか? 本当にあなた達が疑似裁判で追い出した人たちは卑しい人だったのでしょうか? むしろあなたたち自身に卑しい所はありませんでしたか?

卑しい人間?

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誰かに「卑しい人間になるな」と言うことは、非常に乱暴なことであり、これ自体が卑しい行為です。聖書には、「だれでも自分を高くする者は低くされ,自分を低くする者は高められるだろう。」と書いてあります。他者が卑しい人間だと考える事は、自分を高くする行為ではないでしょうか? 他人の論理的誤謬を指摘して、自分が正しいと主張する人は多いですが、人間も社会も、論理だけで説明することは出来ませんよ。

関連項目

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外部リンク

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脚注

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  1. この私論における用語「卑しい人間(dick)(注・寧ろdick の訳としては、"あの間抜け野郎"、ぐらいが適切か?)とは、その性別に関わらず「他者の神経を逆撫でする無分別な人間」として、ある人物は定義する。しかしこの定義自体ナンセンスだ。卑しかろうと優秀な人間だろうと、他者の神経を逆なでする人間は常にいっぱいいるし、自分だって相手によってはそうなる。人間関係というのは常にそういう物だ。神経衰弱なんだよ。