LSS/foundation-l-archives/2006 09/ja

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ここに掲げるのは、メーリングリストサマリサービス(LSS)の一部である Foundation-l の抜粋です。投稿者名のついた投稿メッセージにはアーカイブ中のメールへリンクを張っています。しかし、必ずしも全てのメッセージがアーカイブに保存されているわけではなく、アーカイブ自体が不安定でメッセージのURL自体が定期的に変更されてしまうことがあることから、リンク先が切れている場合があります。不正確な点についての修正を歓迎しますが、スタイルや報告の要点に関する修正についてはまずノートページで議論してから修正してください。サマリ中での投稿者に関する言及を、ウィキペディアのハンドルネームで呼ぶか、e-mailの名前を使うかは、それほど一貫したポリシーがあるわけではなく、時と場合によります。人称代名詞の性別は、たまに間違えていることがあります。


注意: 今回は9月分全体の要約を載せます。以降の版では1週間分だけになります。

スレッド

edit
  1. [1]理事選挙用の拡張メッセージテキストの表示・整形の問題が解消された。
  2. [2] Jan KulveitがCharles Hannumによる「The Future of NetBSD」(NetBSDプロジェクトの失敗の分析)を転送してきた。Charles はNetBSDプロジェクトの元リーダーかつ管理者を務めた人物で、スラッシュドットにも寄せられ、多くの議論がなされている。Anthereはいくつかの点でWikipediaにも当てはまる部分があるかもしれないと述べ、DeliriumはNetBSD Foundationが純粋な管理運営業務に集中すべきで日々のやり取りを避けるべきだったろうと述べた。AnthereはJimboがこのトピックについてチャットで語った内容へのリンクを示した。議論はさらに続き、財団と各種ウィキプロジェクトコミュニティとの関係にも及んだ。David Gerardは当該メールが内部の政治的動きによるものであり、NetBSDにおける最大の問題はプロジェクト固有の使命・目標が欠けている点にあったのではと述べた。
  3. [3]CVU (Counter Vandalism Unit; 対荒らし機関 = 英語版Wikipediaにて荒らしへの対処を目的とした組織)におけるWikipediaロゴの使用が公式ロゴの方針に反している点が議論になり、当該方針自体の有用性についての議論が行われた。
  4. [4]Arnomane が不適切画像の即時削除に反対を申し出た。これはAfD(削除依頼)の方が削除理由の公開に適しており、Wikipediaのことをよく知らない人が何度も投稿してしまうのを防ぐ意味もあるとの説明があった。
  5. [5]Milos Rancicが障碍者にMediaWikiを使ってもらう方法について質問したが、返答は無かった。
  6. [6]David GerardがCommons上のページをWikipediaのコンテンツとして再利用する際のガイドラインがあるかどうか尋ねた。Deliriumが存在しないと返答したため、Davidが方針作成を開始
  7. [7]Anthereが[8]としてJames Forrester and Jon Harald Søbyの2名を理事選挙選管補佐として選出したと発表した
  8. [9]Tuvikがオランダ語版Wikipedia上のWikipedia記事における使用を巡って、Wikipediaロゴ使用ライセンスの明確化について議論を提起した。Davidがオランダ語版Wikipedia画像ライセンス方針を示し、WikipediaロゴがCommons上に存在するのは特殊例であると述べ、フリーライセンス使用は保証できないとした。Tuvikが指摘された点をオランダ語版の井戸端で議論すると返答した。
  9. [10]Guillaume PaumierがWikiversity BetaのFAQの案内を出し、10日前に公開したと述べた。
  10. [11]Kelly Martinは、Greg Maxwellが集計したWiki利用統計を示し、統計から分かることについて簡単な解説を加えた。ここから、さらなる解析 複数の その他の 分析が出され、英語版Wikipediaで急増する非ネイティブ話者による膨大な編集量についての懸念も出された。
  11. [12]David GerardがPD-Sovietに関するcommons-l(別のWikipedia関連メーリングリスト)からのメッセージを転送し、当該ライセンスが有効なものであるかどうかの意見を求めた。Matt Brownは無効であるように思うと述べ、Ray Saintongeもそれを支持したが、David Gerardは財団の判断を求めていた。代わりの方法として、通常のコンセンサス/多数決方式による結論を出すようにしてあげた方が理事会の決断にとってもより良いとの意見があり、もしくは、(さらに別のメーリングリスト)juriwiki-l にメールするのが良いのではないかとの提案が出た。
  12. [13]Anthereが、医学実践トレーニングの幅広い共有を目的としたカンファレンスRAFTからの参加報告をした。
  13. [14]Eric Möllerが西欧以外の諸国におけるオープンコンテントプロジェクトのサーベイへのリンクを示し、言及されているグループのうちいくつかとは連携していくとよいかもと述べた。また、 発展途上国の生徒のための教科書執筆を目指すGlobal Text Projectとは連携していく価値があると述べた[15]
  14. [16]Jeff Merkeyが、財団が提供している英語版Wikipediaのダンプは、追加拡張パッチを必要であるため、公開中のMediaWikiソフトウェアでは使えないと述べ、ダンプをそのままでロードできるMediaWikiのtarballへのリンクを示した。Filip Maljkovic (コミュニティの一参加者)はオフトピックであると断ったうえで、この種の話題を投稿しないよう求めた。Jeffはこれに答えて、ダンプが配付版ソフトウェアで簡単に使えないのは問題であると述べ、コミュニティベースのものではなく財団が運営するビジネス上の問題用のメーリングリストを作成し、こういった返答をもらわずにすむようにすることを提案した。David Gerardはwikitech-l (別のメーリングリスト)を示し、Jeffはリストのメンバーもダンプが使えない状態であることを知っておくべきだろうと返答した。別のユーザはJeffによる話題はオフトピックであると述べ、Jeffが他の人たちは提案していないビジネス利用のためのリストを必要であると何度も繰り返し要請しているとした。この議論[17]は白熱し、冷静になるよう呼び掛けられた後、David Gerardがダンプの件は限られた時間的リソースの中で財団にとって優先度がそれほど高くないと説明した。Jeffは再度、ビジネス特化リスト作成の要請を理由の一覧を挙げながら繰り返し、いくつかの理由でこのビジネスコミュニティは招待制もしくはプライベートなものとしたいと述べた。何人かの 人たちがこれに反対し、 さらに議論が続いた。ついに、財団職員によるモデレート付きではないが、コンテント再利用ユーザ向けの別リストを作成すべきとの結論に達した。Jeffもこれに賛成した。
  15. [18][19]Anthereが各種プロジェクト上でのマルチメディア資料の扱いを議論するために会合を持つことを提案した。
  16. [20]Erik Möllerが子ども達にWikipediaへの投稿の方法を教えるWikimedia Youth Campの提案を行った。様々なアイデアが議論された。Wikimania直前のイベント開催や、人々一般に建設的に寄稿してもらうためのアドバイスをうまくする方法など。何人かの若年者は他の編集者たちと同様に扱って欲しいと述べた。地域支部でこういった活動を行うことについての議論も行われた。
  17. [21]DelphineがWikimania 2007の招致締切直前を通知するメールを投稿。
  18. [22]Anthereが9月8日のInternational Literacy Dayの通知メールを投稿。
  19. [23]AnthonyがCOPPA (青少年のプライバシーに関わる米国法)のWikimediaプロジェクトへの影響について尋ねた。 Kelly Martinが財団は非営利であり営利活動とは関連せず、COPPAの対象外であると述べた。Geniが政府によるCOPPAへの平易な説明文を示して、Wikimediaが対象外とならない可能性もあると述べた。Kelly Martinは財団は情報を収集しておらず、情報提供の場を提供しているだけなので、COPPAは適用されないと述べた。
  20. [24]Sabine Cretellaが WiktionaryZ (言語と翻訳に焦点を絞った外部プロジェクト)の更新状況について投稿し、興味のある人のプロジェクトへの参加を呼び掛けた。
  21. [25]Effe Iets SandersがMediaWikiの新機能の導入をアナウンスした。画像からのリンクで当該画像のページ以外のページへのリンクを張れるようにした。この機能を許してもよいかどうか尋ねた。ライセンスと著作者帰属の法的要件に容易にアクセスできるようにするという点を主として、この機能が良いものとなるか議論された。また、ページ内の全要素の寄稿者やライセンスの一覧を出すようなタブを各ページに付けるべきではないかというような議論も少し展開された。
  22. [26]Peter Rocky7が英語版以外のWikiにおける管理者による荒らし行為の問題について、そういった状況においてどういった処置が可能か意見を求めた。メッセージ自体が少しおどけ口調だったのでジョークがとびかったが、しだいに議論は真剣なものになっていき、他のWikiプロジェクトでの管理の様々なやり方について議論されたのち、新しいコミュニティ用に「うまい対処事例集」を作ろうというアイデアが出てきた。Rocky7はそこで、管理者以外の利用者が管理者の行動を批評する委員会を作ろうと提案した。多くのWikiプロジェクトでは不適切な管理者の行動についての対処は、色々なやり方でなされているとの指摘も出た(英語版でのArbCom, ポーランド語版でのRFC)。
  23. [27]John McCがなぜ英語版Wikibooksに英語版Wikipediaの内容を自動的に移植できないのか質問した。Effe Iets Andersは、コミュニティからの適切な依頼があれば、この機能をオンにすべきではないかと述べ、Bugzillaに要望をあげた。
  24. [28]Andrew Lihは、Guardian紙の記事がWikipediaへの最近の中国における検閲と、検閲解除するために内容変更しようという動きへの反対運動という話題を述べていることを紹介した。
  25. [29]Daniel BregmanがWikibooks, Wiktionary, Wikiversity用新ロゴ・コンテストについて告知した。
  26. [30]Jeff Merckeyは彼による機械翻訳プロジェクトの最新状況を投稿した。Chickasaw語の追加など。
  27. [31]Mindspillageは米国においてABC NewsのNightlineがWikipediaについての話を放映するとの情報を知らせた。
  28. [32]David Gerardが作業中のプロセスについてのエッセイ記事についてお知らせを出し、コメントを求めた。
  29. [33]Effe Iets Andersがオランダ語版Wikipediaカンファレンスの概要を報告した。
  30. [34]Brion Vibberは9/11 Wikiを管理業務が行われていないこととスパマーによる荒らしのため、書きこみ付加にしたと報告した。
  31. [35]Christolph Seydlはドイツ語版Wikipediaで検証可能性の原則をより明確にしようとしている議論を紹介した。James Hareは、個々のウィキプロジェクトで財団の原則である統一ルールを変更すべきでないと述べた。Christolphはその件がMeta上でルール化されているか質問し、単にMetaには置かれているだけであることを確認した。Ray Saintongeはルール化することは困難で、現在のように参照しておくだけで十分であるとした。Christolphは原則の重要性およびその適用方法には幅広い多様性を認めるべきだと述べた。議論は、英語版における、出典の無い全記事が削除できるかという点や、出典について強調しすぎると寄稿者がいなくなってしまうという懸念まで、様々な実践的アプローチ・課題について及んだ。Erik Möllerはドイツ語版における出典無し記事の削除に関する投票を示し、出典を要件とすることは投票で否定されそうだとの述べ、個人的にも、出典無し記述は出典付き記述に改良できると思っているので、提案には反対であると述べた。
  32. [36]Jimbo Walesが進行中の理事選挙への投票呼び掛けを行い、OscarとMindspillageが特に有力候補であると述べ、他の候補の中にはコミュニティ内での行動で問題がある人物もいると述べた。これに対し、選挙の意味を問う意見と、共にうまく働いていける理事メンバーの必要性といった意見が出た。さらに終身理事、推薦理事というアイデアも出て、候補者一般の議論が行われた。これは大変長い議論を巻き起して多くのトピックが話し合われた。
  33. [37]Jeff Merkeyがプロジェクトにおける数名の役員の異動・変更をアナウンスした。
  34. [38]Delphine MénardがWikimania 2007の候補都市がアレキサンドリア、ロンドン、台北、トリノに絞られたことをアナウンスした。
  35. [39]Amgineが2004年に英語版から離れたのはDanny Woolと関係があるのではないかとされる噂を否定し、その件は単にArbcomの決定に不服があっただけだったとする見解を述べた。Erik Möllerは離脱の際の経緯の記憶に間違いがあったようだと謝罪した。Amgineは誰と電話で話したのかと質問し、その後はリストを離れた話し合いをもつこととなった。
  36. [40]AnthereがLarry SangerのWikipediaからのフォークプロジェクトCitizendium(元々はWikipediaコンテンツを利用するものの管理方式はその対局にあるものを採用)の告知を紹介した。大量の反応があり、その内容も多様だった。失敗を予測する声、控え目な興味の声など。Wikipediaの方針とCitizendium側の方針案の相違についての議論があった。(「(コメント) 大規模なWikipediaのフォーク・プロジェクトで活動的なものがCitizendiumメーリングリストに挙げられています。」)。[41]Mindspillageが後になって、そのリストから議論してもよさそうなものとして方針案のアイデアを挙げた。Jeff Merkeyが以前の議論で述べたとおり、Larry Sangerのプロジェクトは失敗に終わるので議論する価値は無いと述べた。
  37. [42]Erik MöllerがWikipedia関連のチャンネルのあるirc.freenode.netサーバの前管理責任者Rob Levin (lilo)が亡くなったと報告した。
  38. [43]Anthereがナイジェリアで開催され、自身とSjが参加してきたカンファレンスについて報告した。会議はアフリカにおける教育や技術開発、ニーズに関するもので、アフリカにおける財団の存在感を高めるためのアイデアを述べた[44]。GerardとAnthereがいくつかのアイデアについて検討した。
  39. [45]P.Birkenはドイツ語版Wikipediaでの安定板(stable version)の稼働方針についての決定について報告した。Erik Möllerは自身のアイデアを述べ、Delphineは翻訳系リストにも転送し広報を呼び掛けてていると述べた。
  40. [46]Frank Schulenbergがドイツ語版Wikisourceの進捗状況について報告した。ウィキメディア財団ドイツ支部はいくつかの歴史資料へのアクセスと電子化を経済的な支援を与え、コミュニティ主導のもとで継続的な作業を行うための予算を確保していると述べた。
  41. [47]Kelly Martinが以前Aphaiaが理事選挙と翻訳に関して投げたメッセージ(本サマリ作成者は見つけられなかったが)に返答し、現状のシステムにおける数点の不平等解消のために間接選挙の方が望ましいのではないかと提案した。広範な議論が起こり、様々な種類の投票・選挙方式について議論された。Jimbo[48]はアイデアそのものには総論で賛成すると述べたが、理事会をより大きくして日々の問題への関与を減らしたとの意向を示した。
  42. [49]Angela Beesleyはプロジェクト全体の主開発者で管理者でもあるTim Starlingが手術中である旨報告し、彼のユーザページのサブページとして開設されたお見舞いメッセージ用ページへのリンクを示した。
  43. [50]Cormac Lawlerが非公式なKDE関係者数名とWikiversityに関してダブリンで会合を持つ予定である旨報告した。これはWikiversityを開発者のトレーニング用のプラットフォームとして使用できるかを確認したいとの意向に基づくものである。
  44. [51]ValdelliがWMFプロジェクト間でのコンテンツの移動に関わるGFDLライセンスの件で質問した。Luiz Augustoが適切な著作権管理における煩雑さを避けるためにSpecial:Importを利用するよう奨めた。
  45. [52]Danny Woolは理事選挙向け立候補声明の多くが長大になっており、全ての候補者たちが書きたいだけ書くのであれば、有権者が候補者について知るための要約情報を得るために全てを読まなければならなくなっていると指摘した。Effe Iets Andersは立候補声明のうちのいくつかは英語を母語としない人にとって理解しづらい風に書かれていると指摘した。Erik Möller(最長の声明を出している理事候補)はDannyの指摘に対し、いくつかの部分に声明を分割し再構成しなおして、全体を読まずに部分毎に読めるようにすると返答した。他数点に関して議論が続いた。
  46. [53]Erik MöllerはWikimania 2007の開催地決定は新理事の仕事となるよう決定時期を延期してくれないかと尋ねた。理事会による選択は最終決定ではなく、招致都市を交えた会合によって決められると説明された。
  47. [54]SJは社会におけるWikipediaの役割についてエッセイを投稿した。さらに続けて財団の目標に関する自由回答式の質問[55](これはBugzilla上の議論[56]その他の話題から来たものであった)と、[57]ユーザ調査に対するアイデア、[58]他のグループとアイデア/経験を共有しようという話題の3点を投稿した。後者2点についてはそれほど議論は盛り上がらなかった。
  48. [59]Arnomaneがコモンズの画像を他プロジェクトで使用することに関連してライセンス問題を解消するために、プロジェクト固有のボット方針に関わらない範囲でボットを動作させたいとの提案を出した。議論ののち個々の数百Wikiと交渉せずにすませたいとの提案は認められ、動作後にボットをブロックするかしないかは個々のプロジェクトの選択に任せるとのこととなった。
  49. [60]Alison Wheelerは選挙時に自分の投票が有効に認められたかどうかを確認できるか質問した。Tim Starlingは検証には選挙管理委員に連絡する必要があり、それに関連する手続きについて説明した。
  50. [61]James Forresterが財団理事選挙の結果をアナウンスした。Erik Möllerが42%の信任票を集め、1位となった。議論が少しあり、Erik自身が投稿[62]を行い、次期新理事としての仕事の優先順位についてアイデア・コメントをお願いした。その後、相当な量の議論が行われた。
  51. [63]AphaiaがArnoLagrageと仕事を共にしたくないとの理由で理事会における活動を辞した。Erik Möllerやその他のメンバーが慰留した。
  52. [64]Anthereがオランダ語版Wikipediaでウィキメディア財団の地域支部が設立されたとアナウンスした。
  53. [65]Anthereが新しい理事会の決定事項として、利害衝突方針の採用をアナウンスした。全理事、事務局、役員、職員がこれに署名することとなる。
  54. [66]Erik Möllerが候補者への質問とMetaでの最近の提案に答え、スパムや荒らしの除去を目的として、911ウィキを一時的にブロック解除し、そのコンテンツをよそのサイトに移行することを提案した。同時に、はコンテンツをホストするボランティアを募集した。計画への賛成者は多くおり、Robert Horningがその提案の必要性について質問し、911ウィキが財団の規約の対象外であるとの返答を得た。さらなる議論の結果、Jeff Merkeyがコンテンツをホストすることを了承した。
  55. [67]Phoebe Ayersが台北がWikimania 2007の開催地に選ばれたことをアナウンスした。お祝いメッセージがいくつか投稿された。一方、Arne Klemertは他の開催招致都市がスポンサー集め等に相当の労力を費やしてきたとし、失望感を示した。1都市のみが選ばれる場合に、招致に多くの労力を費すことのメリットについてさらに議論になった。
  56. [68]Frank Schulenburgはウィキメディア財団ドイツ支部がWikipediaを学校で使用する試みについてのプロジェクトを開始したとアナウンスした。調査ののち、ヒルデスハイムの学校に対し、Wikipediaの利用についての講習・研修を行ったとのことである。現在、その成果評価と結果についての報告をまとめているところであるとのこと。
  57. [69]Virgil Ierubinoが新しく実装したMediaWiki拡張「WikiLogic」について、形式論理式をウィキ記法で書きやすくするものとして報告した。
  58. [70]Łukasz Garczewskiがポーランド語版Wikipediaの5周年を祝ったイベントについて報告した。
  59. [71]Andrew Leonardがアストゥリア語版Wiki上の寄付依頼ページがスペイン語で書かれていることを報告した。Titoxdからはまだプロジェクト開始したばかりで翻訳が未完なのではないかとの指摘があった。
  60. [72]Erik Möllerが、まだ支部を持っていないWikiサイト上のお知らせに支部作成依頼の表示を加えることを提案した。支部の目的・範囲や支部設立に何が必要かといった点について議論された。
  61. [73]Ragib Hasanがベンガル語版Wikipediaが1万記事に達したと報告し、そのコミュニティの状況について簡単な報告を行った。
  62. [74]David Gerardは、ロンドン王立協会が歴史的文書をオンライン化しているとの他メーリングリストからのメッセージに返信し、英国では不可だが、国内法によっては、アーカイブから文書を持ってきてWikisourceに持っていくことが可能では、と述べた。この対応について法的および倫理的問題が議論され、一部は他のスレッドにまたがった[75]
  63. [76]Erik Möllerがメディアウィキの追加サイドバーを使うことを提案した。これはWikipediaや支部情報、各種プロジェクト、ボランティア募集といった情報への追加リンクを含もうということである。議論がおこなわれ、Sam Kornによる以前の同様の提案[77]への言及もあった。
  64. [78]OscarがErik Möllerの新理事就任を承認するWMF理事会の決定のアナウンスはまだかという点について質問があり、さらに、Erik自身がスチュワードとなっており、自身の権限をいくつかのプロジェクトで承認してきたことについても質問した。理事信任は確認されたが、Oscarはスチュワード権限が不適切に付与されたと主張した。Erikははじめその議論は無意味で瑣末すぎると述べたが、スチュワードにともなう権限を削除し、どのようにその権限を得るのかを説明すべきとの要望を受けた。Erikは、もしJimboがスチュワードだったら、プロジェクト創始者としてのJimboの役割がアカウント権限の所有を説明できるだろうと述べた。
  65. [79]Gregory MaxwellがGNU Wikiライセンスに触れたGFDL v2草稿の詳細について紹介した。GNU Wikiライセンスそのものはまだ公開されておらず、それほど議論は深まらなかった。
  66. [80]Erik Möllerは、英国図書館が現在の著作権法が硬直的すぎて現代のニーズにそぐわなくなっていると述べたことを紹介した。
  67. [81]OskarがMeta上でのトピック議論のための中央センターMetapubを開始した。
  68. [82]Sjが2名の弁護士が書いた集合著作権を強制するようなアイデアについて述べたエッセイへのリンクを投稿し、彼らに自由なライセンスによる複写はどうかという点を尋ねてみるよう述べた。
  69. [83]Brad PatrickがWikipediaを企業広告の場として使う会社との問題が増えているとコミュニティに警告を出した。それによれば、編集を差し戻されると電話苦情がしてくるなどがある。現在の削除依頼の使用方法は不十分で、発見後ただちに削除すべきであると提案した。Jeff Merkeyは外部出版物で記事内容を確認することで問題を解決できると述べた。GerardはWikipedia記事を持ちたい企業のニーズを除くための解決策として、自身のYellowikisプロジェクトをもちだした。しかし、そういった記事を投稿する者たちは常に大変著名なWikipediaに関心があるのであり、Yellowikisへの投稿は同様のアピールとはならないだろうとの指摘が出た。少数もしくは0個のインリンクしか持たない記事はスパム記事の目安になるだろうとの指摘も出た。さらに議論は、著名性、偏見、企業による編集などに及んだ。
  70. [84]Danny Woolは存在しない地名についての記事を削除し、出典の無い記事についてそのままにしておいて良いか議論を開始した。James Hareは出典無し記事は削除するという新しい即時削除の方針を提案した。Gerardはそれは他のプロジェクトでは制限がきつすぎて、コミュニティによる貢献を減らしてしまう弊害となると述べた。さらに、既存の出典無し記事に出典を加えるのは相当の労力を必要とするだろうと述べ、GeniやErikも同様に反対した。