香港ウィキメディアコミュニティ利用者グループ/2017年-2018年年次報告
2017年、香港の利用者はウィキメディアコミュニティ利用者グループを結成しようとしていました。ウィキメディア香港が解散されて以来、香港の利用者が肩代わりして活動を行い、新たな後継組織の結成に力を入れ始めました。提携団体委員会に承認してもらうために、さまざまなステップを踏まえ、ウィキメディア運動の代表として推進していきました。2018年、活動を引き続き行い、承認に向けての過程もスムーズになっていました。このページは香港ウィキメディアコミュニティ利用者グループが最初から2018年12月31日までの活動レポートです。
2017年-2018年年次報告
利用者グループの設立
2015年、ウィキメディア香港は組織的な問題が発生して以来、ウィキメディアコミュニティ利用者グループの結成という声が現れていました。ブラジルのやり方を参考し、国別協会から利用者グループに移行しようとしていたが、失敗しました。2017年2月、提携団体委員会はウィキメディア香港の承認を取り消し、まもなく解散に至りました。当時、香港の利用者はそれについて議論し、新たな組織を結成しようとしていました。その際、ウィキメディア台湾や中国ウィキメディアコミュニティ利用者グループのメンバーからもローカルウィキメディアコミュニティの再建について、意見をいただきました。ウィキメディア香港の承認が取り消された当日に、利用者グループのページが建立されました。その年、Telegramのグループも成立し、利用者グループの準メンバーにコミュニケーションのプラットフォームを提供しました。
内務
過去の成功や失敗した経験を参考し、私たちは提携団体委員会に承認してもらうために動き出しました。2017年のコミュニティミーティングで、早期の準メンバーは議論を重なり、利用者グループを結成すると提言しました。その中で、利用者グループのシンボルについての議論もありました。従って、同い年の11月に投票で利用者グループのシンボルと名称を決めました。名称に関して、投票結果は「香港ウィキメディア利用者グループ」だったが、2018年8月に提携団体委員会の要求に応じ、「香港ウィキメディアコミュニティ利用者グループ」に変更しました。シンボルはそのままウィキメディア香港に使われたものを継承しました。ほかに、参加条件や使命についても議論しました。
2018年3月に、別のエディタソンが行われたまもなく、運営の需要と香港社会の現状を適合するために、コミュニティメンバーが宗旨を修訂するように提言しました。2018年3月、それに関する議案が起草され、最終的に可決されました。しかし、有効人数によるトラブルに直面してしまいました。有効人数は「メタウィキの利用者グループのページに署名した利用者の三分の二」と定められましたが、参加率はどのように計算するか、多数決かそれとも合意か、明白に定められていませでした。同い年の6月に、利用者グループは合意を基づき、議案が可決されることにしました。投票結果は合意と参加率で決めるとすれば、反対したメンバーがいなかったことと当時メンバーの数は18人だったが、12人も参加したことによって、可決することに違いありません。しかし、投票の数だと、わずか九分の一の差で否決されることになります。可決された直後、1233とBillytanghhとWhisperToMeは連絡員に当選し、提携団体委員会と連絡し、承認過程をフォローする役割を担うことになりました。
アウトリーチ活動
利用者グループは2017年7月から2018年7月にわたって、5回も活動を開催しました。その中で、三回は編集教学ミーティングで、コミュニティミーティングと混同ミーティングは一回ずつでした。
初めてのイベントは2017年7月に行われたコミュニティミーティングです。5名の出席者のうち、利用者グループの創設メンバーも何人か含まれています。議論内容は利用者グループの構造、参加条件、使命、シンボルです。(上記参照)さらに、出席者はウェキペディアについて、意見交換を行いました。(たとえば、初心者の利用者にとって、わかりにくい独立記事作成の目安や信頼できる情報源の区別や第15回動員令に対する意見など。)
二回目は2017年11月に開催されたアジア月のエディタソンでした。半数以上の出席者はベテラン利用者やコミュニティの推進者など、残りは初心者でした。最初のニ時間は、ベテラン利用者が初心者に向けてウィキペディアのことを紹介し、ウィキペディアの諸方針や基本的な編集スキルやほかの利用者の連絡先などについて説明しました。その後、初心者はベテラン利用者の指導のもとに記事を書き始めてみました。しかし、アジア月との関連性が薄いことに気づき、初心者もなかなか持続的に編集することが少ないです。されど結果的に、これが利用者グループの初めての編集指導イベントになります。
私たちは アジア芸術公文書館とM+と協力し、編集指導イベントが二回開催されました。Facebookのページがまだ設立していなかったため、イベントの宣伝は主にアジア芸術公文書館とM+にやっていただきました。一回目は2018年2月に、1233が担当しました。前回のイベントの経験を踏まえ、順調に進んでいました。前回のように、ベテラン利用者が良い記事を書く方法について初心者を指導しました。その中で、問題点も観察することができました。二回目は3月に、アート・バーゼル香港2018と同時開催。今回はアジア芸術公文書館とM+が主導になり、利用者グループは初心者をサポートしました。今回は特に問題なく終え、アジア芸術公文書館とM+も今後の指導方法を変えました。二回あわせての出席者数は27人でした(ベテラン利用者やウィキペディアに興味がある女性芸術家も含まれています)。
今年最後の利用者グループのイベントは2018年6月に開催されました。宗旨の修訂が可決された以後(上記参照)、春卷柯南とネイはESEAPカンファレンス2018に学んだ経験をシェアしました。基層コミュニティの復興についても議論しました。出席者たちは香港ウィキペディアン掲示板の復興(例えば赤リンクの更新と査定表の増設)と公共図書館に通う潜在的な編集者への接触を強化することに一致しました。WhisperToMeは深セン市からの学生数名を連れ、1233と一緒にウィキペディアの基本的な編集スキルを別会場に指導しました。
その他
- 春卷柯南とネイは香港ウィキメディアコミュニティ利用者グループの代表として、インドネシアの都市バリに行われたESEAPカンファレンス2018に出席しました。二人方は香港に戻り、2018年6月の時、集会でESEAPからの経験をシェアしました。その共有経験を4つの部分にと:
- 一つ、会議の測定基準。
- 二つ、WMFのスタッフとコミュニティの問題について話し合った。
- 三つ、地域の仲間からの最高プラクティス・及びその中で我々が学べること。
- 四つ、次回の会議の見通し。
- 2018年4月、私たちはウィキペディアのアジアの月2017の記念品としてポストカードを9枚を郵送しました。私たちは表にSteven Wuの写真を採用し、裏には1233のデザインでした。鄭樂捷氏の協力を得て、私たちはライセンスや金銭について、Steven WuとSuperHamsterとFantasticfearsに交渉しました。